体に秘める可能性について、巣鴨の空で見たインコに考えさせられました

 

こんにちは。

副院長の賀来裕貴です。

 

今日は先日見た光景について感じたことを書きたいと思います。

私にとって、「体に宿る適応力」の凄さと、「脳が管理する可能性」について、改めて考える良い機会になりました。

見慣れない鳥。あれはおそらく野生化したインコ

ある日のこと、電線の上にしっぽの長い鳥が停まっていることに気が付きました。

ハトや雀、カラスとはシルエットが明らかに違います。

 

近づいて見てみると、インコでした(おそらく)。

 

結構、大きいです。

 

飼っていたのが逃げたのか、飼えなくて逃がしたのかはわかりませんが、日本の在来種では無いですよね。

体に宿る適応力のすばらしさ

外来種繁殖やモラルの問題はさておき、凄いと思ったのが、その適応力。

 

人に飼われている時は、水が与えられ、時間になると食事も出て来ます。

生きていくのに心配はありません。

その代わり、空を飛び回る自由がありません。

 

その鳥が自由を得ました。

今度はその代りに、水と食事の問題が出て来ます。

 

人に飼われていたという事は、恐らくエサの取り方や、どれが食べれるものなのかを知らないはずです。

水場の場所も知りません。

どこを寝床にすると安全かという事も、生きていくには大切な要素です。

 

電線に停まるこの鳥が何日生き延びているのかは知りませんが、きっと自力でその問題を解決したのでしょう。

 

自由を得たその時から、抑えられていた本能と遺伝子に眠る記憶が、そして生きる事を選んだ意志がこのインコを生かしたのです。

 

そして見事、新しい環境に適応しました。

 

お腹が空いたら食べ、飲みたくなったら飲む。

 

一日何回、何時にご飯を食べなくてはいけない。~をしなくてはいけない。に縛られる人間の方がよっぽど不自由かもしれませんね(笑)

変化に対する本質的な適応が起こっている

このインコのように、環境がガラッと変っても、体に宿る力で適応する。

これって、体にも置き換えられのではないでしょうか?

 

人の可能性を狭める首のずれ。

それはいわば、鳥かごです。

インコの場合

鳥かごで変われていても、インコは生きていけたでしょう。

ですが自由は制限されていました。

 

そして解放される事で、身体の自由を得ます。

 

誰かが手取り足取り教えなくても、体に宿る生存の為の知恵が目覚めてインコを導き、体の内側から環境の変化に対して徐々に適応した結果がそこにあります。

ヒトの体の場合

首のずれがあっても生きていけます。

ずれを知らずに生活している方が大多数です。

 

首を調整すると、ずれから解放されます。

脳の可能性が自由を得ます。

 

すると、体に宿る生存の為の知恵に導かれて体は内側から変化を起こし、徐々に適応していくのです。

変化の限度は、脳が管理する可能性の幅の広さによる

体の場合は、脳が神経を通してきちんと体を管理し、体で起きる事に対して、また体外の環境の変化に対して随時適応するというシステムが備わっています。

 

たとえ首のずれというカゴの中に飼われていても、そのシステムは働きます。

でも働く機会は少ない分、脳が管理する可能性の幅は制限されている事でしょう。

 

ズレというカゴから解放され、神経を通して行う脳と体の連絡はスムーズになり、さらに自由を得た脳が管理する可能性の幅が広がったら…

何が起きるかワクワクしますね。

 

その変化は放っておいても体の内側から徐々に起こり、そして変わる時に変わるものです。

脳が管理する可能性の働いた結果が、治癒であったり、姿勢の変化であったり、自律神経のバランスや免疫のバランスなどになります。

 

もちろん、適応=本人が望む結果となる事が一番喜ばしいことですが、体も自然の一部なので、残念ながら全て思い通りには運ばないこともあります。

 

なる時に、成るべくして成るよう、自然のシステムは出来ていますので急激で過度な期待だけを抱くのはお勧めはしません。

 

ですが逆をいえば、期待しなくても変わるところから変わるという事です(笑)

その限度は、体に宿る知恵が絞りだす、脳が管理する可能性の幅の広さによって決まると理解しています。

 

カゴの中と外。

首のずれがある状態と解放された状態。

 

どちらで生活した方が、脳の働き=体に宿る生存の為の知恵にとって『良い』状態なのでしょうか?

そしてどちらの方が、脳が管理する可能性の幅は広がるでしょうか?

 

電線に停まる外来種のたくましさから、こんなことを考えた日でした。